●お詫びと訂正●

 このたび、グランドパワー2020年6月号の巻頭カラー特集「ジブラルタルの要塞」5ページから9ページにおいて、解説文の欠落と重複がございました。 以下に正しい解説文とページ画像を掲載いたします。読者のみなさまに大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。



正しい解説

5ページ
当初装備されたのは9インチ砲で、同砲は1900年に撤去された。新たに装備されることになったのは6インチ砲で、2門が装備された。射程は5.5キロである。同砲が設置されたのは1902年で、下部の構築物が完成したのは1903年のことであった。同砲が実戦で火を吹いたのは、1917年ドイツ軍のUボートに対するものが唯一であった。第二次世界大戦中も現役で、1954年に運用が停止された。

6ページ
ハーディング砲台。ジブラルタルの半島の南の突端、ヨーロッパ・ポイントと呼ばれる場所に、南の海を向いて作られている。このため東西南の海上、広範囲の射界を持っている。コンクリートで固められた、開放式の砲座に据え付けられている。1)はその弾薬庫だった場所で、現在は展示場になっている。名前は、19世紀半ばに活躍した技師からとられたものだ。元々は18世紀の古い砲台があった場所で、その跡に1859年に建設された。当初は18ポンド砲、後に32ポンド砲が据え付けられた。

7ページ
現在装備されている砲は、1878年に据え付けられた12.5インチ砲である。1904年にさらに9.2インチ砲に換装することが計画されたが実現しなかった。第二次世界大戦中は、沿岸砲台としてでなく、ボフォース40mm機関砲が装備されて対空陣地として使用された。その後同所は放棄されて砲台も埋もれてしまっていたが、2010年に再開発されて砲台も整備された。据え付けられた砲は当時と同一のタイプだが、ジブラルタルの別の砲台に据え付けられていたものである。

8ページ
ハイネス・ケーブ砲台。ジブラルタルの岩、ロックの中西部の山腹、前述のデビルス・ギャップ砲台よりは若干南よりに設けられている。元々はジブラルタル包囲戦時に砲台があった場所で、1904年に2門の4インチ砲が据え付けられた。ただし、早くも1911年には撤去されてしまった。砲台の名前は包囲戦時の主計将校の名前から取られたもの。砲台に通じる道路を作ったのが彼であった。もうひとつ名前の元の洞窟は、貯水タンクとポンプ場として使われている。

9ページ
ラグランズ砲台。ジブラルタルの岩、ロックの中西部の山腹、前述のデビルス・ギャップ砲台より少し下の裾野に設けられている。港を火制する砲台であったが、より高いところにある方が、射程や隠蔽の上で有利であり、一連の近代的砲台の中でも、比較的早く廃止されてしまった。第二次世界大戦中は、退避壕として使用された。